「殺心者」~桜宮高校体罰自殺事件について~

大阪市立桜宮高校の体罰自殺事件に関するニュースが連日報道されています。

今回の桜宮高校の事件のように当事者が自殺をして目に見える形である「命」がなくなったことで、これだけ大きな事件として報道されるようになりましたが、これは今の教育現場の体罰問題のほんの氷山の一角だと思います。まだまだ同じような事例が日々の学校生活で起こっていると想像するのは容易なことです。

生徒の健全な心を育てる場所であるはずの「学校」で生徒が自殺に追い込まれたというのは、学校では生徒の心を育てるどころか、生徒の心を教師が殺していたということです。

命(肉体)を殺す行為が「人殺し」なら、体罰によって自殺にまで追い込むような行為、つまり相手の「心を殺す行為」は「心殺し(こころごろし)」と呼べるおこないです。そして心殺しをした人間は「殺心者(さつしんしゃ)」と言えます。

他人が相手の命を奪えば「殺人」になり、加害者は「殺人者」として罪を問われますが、相手の目に見えない「心」を傷つけ殺してしまっても、傷つけた側、人の心を殺した側の人間=「殺心者」はほとんどの場合、なんら罪に問われることすらなく今日まできたのがこれまでの日本の社会です。

殺心者は殺人者と違い「人のからだ」ではなく、見えない「人のこころ」を殺すので、加害者、被害者、周囲の人、それぞれの捉え方はケースごとに違うと思いますが「殺人」のように目に見えるわけではないので、一見、実に扱いずらい問題です。しかし体罰問題がクローズアップされている今こそ「殺心」や「殺心者」の存在を誰もが認識する良い機会ではないかと思います。

持論ですが、世の中のほとんどの問題に「殺心」や「殺心者」の影が見え隠れしているような気がします。「殺心」という行為や「殺心者」の存在を認識することで、現在起きている社会の様々な問題の本質が見えてくるような気がします。